これからの道しるべ 障害福祉の現場で働く森本しおりのブログ

ADHD当事者が、障害福祉の仕事を通じて見つけた処世術を書きとめていきます。 ジャンル:発達障害、メンタルヘルスなどなど

【ブックレビュー】『兎の眼』を読んで考えた、障害児教育について

昔から、「教師モノ」のドラマや本が嫌いでした。押し付けがましく、熱血漢な教師というものに対する反発から来ていたのだと思います。大学では教育学を学ぶも「学校教育が好きになれない」と思って教師にならなかった私は、無意識のうちにすべての「教育に関する本」を避けてしまっていました。

 

そんな私が2018年前半に読んだ47冊の中で、でもっとも感動したのは

灰谷健次郎の『兎の眼

 

ひねくれた私でも思わずブックレビューを書いてしまうくらいの衝撃がありました。

 

合理化、効率化とまったく逆のことが書かれている『兎の眼

 

ここからは、若干ネタバレの要素があるので、本を先に読むことをおススメします。

 

主人公の小谷先生は新任の女性教師。医者の家に育ったお嬢様育ちだった小谷先生は、教育現場に出てはじめて、自分の知らなかった世界の人々と出会います。

 

ゴミ処理場の近くで暮らす子ども達、ハエをペットとして飼う鉄三、下町の子ども達から慕われている足立先生。今までの自分の価値観を問い直し、全力で子ども達と向き合っていく成長物語です。

 

物語の中盤で、障害児と思われる子どもが出てきます。

養護学校に転校する前の1ヶ月間を、ふつうの学校で過ごすことになったみな子です。

 

みな子は話すことができません。座って授業を受けることもできません。いつもフラフラして、うれしいことがあると走っていってしまいます。みな子の走るの姿はまるでクラゲのよう。排泄も自立していないので、あわててトイレに連れて行っても失敗してしまうこともしばしばです。

 

そんなみな子を置いておくと、他の子の授業の妨げになると保護者からクレームが入ります。それでも小谷先生は、負けません。やがて、周りの生徒たちに変化が現れてきます。その変化を見た、保護者の発言がとても感動的です。

 

”日がたつにつれて、わたしは自分の子どもがすこしずつかわっていくのに気がついたのです。ひとのことなど知らん顔していた子が、他人のことでなやむようになり、考えるようになったのです。気がつくと、おとなでも手をやくようなたいへんなせわを、なんと一年生の子が、先生のかわりにやりとげていたんです。(…中略)

 

一部の子どものためにみんながめいわくをこうむる、わたしたちははじめそう考えていたのです。しかし、それはまちがいでした。よわいもの、力のないものを疎外したら、疎外したものが人間としてダメになる、処理所の方たちの要求はわたしたちの要求として、処理所の子どもたちのたたかいはわたしたちのたたかいとして考えていかなくてはいけないと思います”

兎の眼灰谷健次郎,p.250 新潮文庫 1984

 

実際の現場でも、トラブルを起こす子を「足を引っ張る子」として嫌がられる傾向はある

 

今は、障害のある子どもと、健常児との交流を促進する動きがあります。

帰りの会だけ、健常児のクラスに行ったりしているのです。

 

ただ、理想とはウラハラに両者の溝は深く存在していると感じます。

溝は、健常児と障害児との間にあるだけではありません。障害のある子同士でもあります。

 

私の働く放デイでは、障害の軽い子から重い子まで一緒のクラスで過ごします。

ただ、どうしても障害の軽い子は軽い子同士でくっつきます。

 

障害の軽い子は、障害の重い子がオムツを使っているのをからかったり、上手くしゃべれないことの真似をしてからかうことがあります。

 

障害児を集めても、その中でもいじめってあるのです。

きっと、どうやって分けても「その中になじめない人」って出てきてしまって、その人が排除される動きってあるのだろうな、と思います。

 

動きが遅い、勉強ができない、言葉が使えない、排泄を一人でできない。作業が遅い。

「できないところ」を挙げては、周りに「めいわくをかけている」と責められてしまいます。

 

兎の眼』では、それを切り離して排除せよ、という動きに真っ向から反発します。

それは、わたしたちの一部なんだと。

 

ゴミ処理所に関しても同じです。「ゴミというもんはもともと、ひとりひとりの人間、ひとつひとつの家庭から出てくるもんです。…(中略)もともとは自分が出したゴミだということをいつでも頭においとかんと、人間は勝手なことばっかりいうようになりまんな。」(p.288 同上)

 

より速く、より効率よく、より清潔に、完璧に。追及していくと、不快なものを集めて、切り離して遠ざけることになります。そして、目に見えないところに追いやって、忘れるのでしょう。

 

ものごとの暗い面もしっかり、見つめていきたい

 

灰谷健次郎の作品を読むと、いかに私たちが普段「踏みつけておいて、忘れている存在があるか」を感じます。もっと言えば、私たちの生活は誰かの犠牲で成り立っています。

 

昔、父に

「どうして、障害福祉なんてわざわざ暗いところに関わるの?」と聞かれたことを思い出します。

 

兎の眼』に出てくる子どもたちを好きでいたいし、その子たちと一緒になって頭を抱えて、一緒になって面倒なことや嫌なこともやっていく。そういう姿勢を、忘れずにいたいものです。