これからの道しるべ 障害福祉の現場で働く森本しおりのブログ

ADHD当事者が、障害福祉の仕事を通じて見つけた処世術を書きとめていきます。 ジャンル:発達障害、メンタルヘルスなどなど

劣等感と優越感は半径5m以内の人間関係で作られるのではないだろうか?

昔、医大生の友人がいたんですけど、この人がまぁびっくりする程、コンプレックスの塊だったんですね。

何のコンプレックスか?というと「俺は勉強ができない」なんですよ。

 

どんだけーーー。

古いですね、世代がばれる。

 

いや、もう「・・・えっ?これって、遠回しな自慢なのかな?私、馬鹿にされてんのかな?」て思ったんですけど、よくよく聞いていくと、彼は本気だったんですよ。

 

このことをきっかけに

「コンプレックスって、絶対評価じゃなくて相対評価で作られるんじゃないだろうか?」と思うようになりました。

 

「自分は頭がいい」と思っていた、学生時代

「嫌な奴」と思っていただいて構わないんですが

私は自分のことを「頭がいい」方だと思っていました。

そのことを、あまり疑ったこともありませんでした。

 

理由は、クラスの中でいつも成績が良い方だったからです。

学校も県内でそれなりに有名な進学校でした。

調子に乗っていた私は「そんなに頑張らなくても、勉強ってできるじゃん」と思っていました。

大学受験の時も、そこまで高い目標がなかったのもあり、受験した大学ほとんど全部受かりました。

 

「こいつ!死ねっ!」と怒りを覚えるかもしれませんが、十分後で痛い目にあっています。この勘違いのツケは後で当然払わされることになりました。

 

「自分の限界まで挑戦しなかった」ことで、「やればどこまでもできる」気がしていたんです。当然「頑張ってチャレンジしてもできないこともある」という経験を社会に出てからして、大きな挫折をしました。

 

「自分は頭が悪い」と思っていた医大

 

大学の時にバイト先で知り合った医大生は「自分は頭が悪い」と信じていました。

 

理由を聞くと「頑張っても、クラスの中でいい成績が取れない」からでした。

どうやら、彼は血のにじむような努力をして、実力よりも上のランクの高校、大学に受かったみたいでした。

 

だからこそ、どれだけやってもいつも成績は下から何番目か。

「真面目そうに見えるのに、案外成績が悪い」と言われ続けていたようです。

大学では赤点をとって再試を受けたり、留年の危機に直面したりしていくうちに

「自分は頭が悪い」と思うようになっていました。

 

私はとても不思議でした。

 

どう考えても、私よりも頭がいい人が「自分は頭が悪い」というコンプレックスを抱えている。

「世の中の平均から比べたら、そもそも医学部に入れること自体、頭がいいんじゃないの?」と聞いてもまったく納得しません。

それはそうです。比べる対象は、「受からなかった人たち」ではなく「今、目の前にいるクラスメートたち」ですから。

 

この一件があってから、私は

「劣等感や優越感って、身近な人間関係で作られるのではないだろうか?」と思うようになりました。

 

狭い世界で生きている人たちは「世の中の平均」や「客観的視点」を持っていない

 

井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があります。

小さな井戸に住んでいると、大きな海を知らないことから物の見方や考えが狭いことを批判する時に使われます。

 

子どもの頃は、自分の周りが世界のすべてです。

コンプレックスの起源は兄弟との比較や、広がってもクラスメートとの比較であることがほとんどだと思います。

また、優越感も逆に狭い世界で作られます。

 

大人になるにつれて、所属するコミュニティが増えたり、色々な価値観に触れたり、多様な人に会ったりすることで、少しずつ「自分の知っている世界は狭かったんだ!」と気づきながら、広げていくものだと思います。

 

私の「自分は頭がいい」というのは勘違いでした。

後から考えると、学校の勉強やテストに向いていただけでした。それも、かなり環境の力が大きかったと今ではわかります。発達障害の人には、こういう人、多いみたいです。

 

社会に出て仕事をはじめると、私は想像以上に仕事ができませんでした。「自分の能力の限界は大したことない」という現実をつきつけられても、なかなか受け入れられずに頑張ろうとしてすぐにつぶれました。つぶれてからは「大したやつじゃないんだなー、自分」と思えるようになりました。

 

つまり、勘違いの優越感は社会に出た途端に転落したのです。

 

違うコミュニティに行き、周りの人たちが変われば自分の評価も変わるものです。

ただ、一つ言えるのは、周りとの比較に一喜一憂していると振り回されるだけだということです。

周りが評価することと、自分が自信を持てることは、重なる部分もあるかもしれませんが、完全に一致することはないと思います。

 

自分が、過去の自分と比べてどれだけ変化していけるのか。

そのことを考えると、思いつくのは野球のイチロー選手です。

 

イチロー選手はいくら大きな成果を出しても、そこに留まろうとはしていません。

メジャー通算3000本安打を達成した時のインタビューから少し引用させてもらいます。

 

”これは皆さんもそうですけど、これだけたくさんの経費を使っていただいて、ここまで引っ張ってしまったわけですから、本当申し訳なく思ってますよ。それはもう、ファンの人たちの中にもたくさんいたでしょうし。

そのことから解放された思いの方が…、思いの方がとは言わないですけど、そのことも大変大きなことですね、僕の中で。普段そこにあった空気が、なんとなく乱れてたっていうのも感じていましたし、明日から平穏な日々が戻ることを望んでいます”

3000本の記録に固執せず、明日からも野球をする。

毎日の、チャレンジに戻っていく。

こういう、精神でいられたらいいなぁと思います。

 

必要なのは

人より優っているからということを根拠にしている優越感ではなく、

自分が挑戦を積み重ねていく中で作られる自信じゃないかと思います。