教科書人間

「世の中は、受験勉強じゃないんだから、教科書通りになんていかないんだよ!」と怒られました。

 

私が怒られた通り、「教科書人間」「マニュアル人間」という言葉は、あまり良い意味では使われません。

 

でも、私は長い間何がいけないのかもよくわかっていませんでした。それを教えてくれた本の一節があります。

 

”しかしなぜ「マニュアル人間」が使えない人間の典型として言われるかというと、言われたことしかできないからだ。

「マニュアル人間」は自分で組み立てたり、自分で手順を決めることができない。だから、状況に応じて臨機応変に行動することができない。”(『段取り力』齋藤孝 ちくま文庫 p.17)

 

 

もう、まさにこれですね。

 

私は真面目にやっていたのに、どうしてこうも上手くいかないのかすごく疑問だらけでした。

ファミレスの仕事が典型例です。私は、忙しく動き回っていました。入口には行列ができて、お客さんには注文で呼ばれるし、飲み物のグラスは切れている。レジでも人が待っている。

 

優先順位はどれが先?ってことがわからなかったんです。

 

一つの仕事はそれだけで完結しません。例えば、お客さんのご案内をしたくてもテーブルが片付いていなければできません。テーブルを片づける前には、レジで会計があります。

 

流れで捉えられるようになってからは、少しましになってきました。(散々怒られたあとでしたが)

 

ちなみに、本には「マニュアル人間はどうすればいいのか」も載っています。

 

”マニュアルが悪いのではない。そのマニュアルを作った人の意図が分かるように、あるいはマニュアルを自分がつっくれるレべルにまでなればいいのだ。”(同上、p.19)

 

ファミレスにはマニュアルがありました。

注文のベルには○秒以内に行く。

会計のベルには○秒以内に行く。

などなど、詳しく時間で決められていました。

 

これにも、法則というか、作った人の意図がわかればよかったのでしょうね。。。

ちなみに、やっぱり仕事ができる人が一人入るだけでスムーズさは全く変わりました。全体を見て指示出しが出来る人がいると、うまくいくのです。

 

どの仕事でも同じです。

最近では、職場の一番仕事できる人の動きをとにかく目で追いかけるようにします。

なんで、今この動きをしたのだろうと考えます。

大体の動きがわかったら、先取りできるようにします。その繰り返しをしていくと、自分なりに

「今、こうした方がいいんじゃないかな」という応用がきくようになります。

「今日は大変になりそうだから、準備を念入りにしておこう」とか、対策もできるようになります。

 

これがわかるまでに、何年かかってしまったことか…

マニュアル人間は、自分用の仕事マニュアルをつくる気持ちで動くといいかもしれません。

 

外見コンプレックス

外見のコンプレックスをこじらせている人は、大概内面についても悩んでいると思っています。

 

足が太い、肌が荒れている、目がはれぼったい、骨格がゴツイ。

書いていてなんだか、ドヨーンとした気分になります。きっと、外見そのものじゃなくて「イメージ」が嫌なのかもしれません。

 

肌が荒れていると、不摂生やストレスをためているイメージ。

目がはれぼったいと暗いイメージ。

太いのは不健康なイメージでしょうか。

 

ちなみに、これを隠そう隠そうとすると余計に周りからすると、目につきます。

肌が荒れている上にファンデーションを塗りたくって、髪で顔を隠していれば「この人、肌のこと気にしているんだろうなぁ」と伝わります。

 

コンプレックスと呼ぶのは、この「もともとの特徴+本人がそこに執着している状態」だと思っています。気になる時は、やたらと意味をつけちゃいます。

肌が気になって、相手の顔をよく見れないとか。だから、モテない、友人ができないとか。ここまで来ると、「だいぶ本来のところから、遠いとこまで来た」感じがしますよね。

 

コンプレックスの解消ってどうしたらいいのでしょうか?

 

個人的には、最初のステップは真正面からトコトン努力することだと思います。肌を気にしているなら、食べ物を変える、化粧品を見直す、運動をする、衛生面を気にして掃除をする。

自分を知るために、専門家の意見も大切な気がします。皮膚科に行ったら、アレルギーを指摘されたなんてこともあるかもしれません。

 

大切なのは具体的な目標に向かって、毎日の行動に落とし込んでしまうことです。行動になったら、あとは実行あるのみですから悩む余地なんてありません。

 

内面のアプローチは書くことで解決の糸口が見つかることが多いと思います。

なんで肌のことで悩んでいるのか?

考えてみると、人と仲良くなれないことを気にしているのかもしれません。

なんで、人と仲良くなれないといけないと思うのでしょう?

人間関係を人ばかり気にしているのは、自分の人生が充実していないからかもしれません。

 

案外、大好きな趣味に没頭していたり、やりたかったことにチャレンジしていたら、いつの間にか最初のコンプレックスなんてどうでもよくなっていた、なんてこともあると思います。

 

あなたは何に悩んでいますか?

それって、本当に何かができない「理由」?それとも「言い訳?」

 

ここを見分けるのは、大切な気がします。

過剰な化粧、写真加工ブームとあえてのすっぴんブーム

女性は何故化粧をしなくてはいけないのでしょうか?

 

先日、テレビを観ていたらすっぴんの女の子が接客してくれることで人気の「すっぴんカフェバー」が紹介されていました。

ナチュラリアというお店です。

すっぴんカフェバー Naturalia(ナチュラリア)札幌大通・渋谷区道玄坂・大阪日本橋

 

コンセプトとしては「派手な女の子が苦手」な人が「癒される」ためのカフェバーらしいですね。

女の子は原則、眉毛とリップ以外は「化粧禁止」です。テレビでは「ふつうの女の子の家に遊びに来たみたいで癒される」とコメントしていました。ちなみに、ホリエモンも最近、すっぴんアイドル「東京藍子町」のプロデュースをしています。

 

今は「すっぴんブーム」と言ってもいいように感じます。

私は、このブームの背景にある「過剰な化粧、加工の流れ」にもこの「すっぴんブーム」の不自然さにもちょっと不快感を覚えています。

 

すっぴんがもてはやされる背景には「素顔があまりにも見られなくなってきた」ことがあるように思えます。化粧品はますます改良されています。「整形メイク」なんていうのもある位です。

 

つけまつげもあり、二重テープ、カラコンも珍しくありません。

化粧は「ナチュラルな偽造」を追い求める人が多いと思います。どんどん進化して、カラコンも「バレないくらいナチュラルなもの」も出ています。つけまつげよりは「まつげエクステ」をした方がバレにくいでしょう。

 

化粧品が進化し、メイクテクニックが向上し、当たり前に「顔が変えられる」時代になりつつあるのかもしれません。

 

ITの普及も「顔を変える」ことを加速させていると思います。プリクラも「誰?」と思うくらい写真を補正することが可能です。携帯のアプリを使えば、詐欺レベルにまで顔を変えられます。インスタグラムの普及もこれに貢献していますね。写真の加工は今や、一般の人も当たり前にできるものになりました。

 

 

でも、これって少し怖いことだと思いませんか?

 

加工したものに慣れると、素顔を見ることが辛くなりますよね。

ずーっと化粧をしていて、自撮りを多くする人にとっては

「素顔=自分」ではないと思います。

「素顔+化粧+加工済み=自分」の認識ではないでしょうか。

 

 

ある男性ユーチューバ―が「素顔はキツイ。スノー越しにならデートできるから、ずっとスマホ観てればいいじゃん」と言っていました。

これ、けっこう本質的なコメントだと思います。加工後の顔しか許されなくなれば、365日、24時間化粧と加工が必要になります。画面越しでしか人と関われません。

 

だからこそ、あえての「すっぴん」が売りになるのではないでしょうか。

 

多分、私と同じように「本来の自分を変え過ぎてしまうことに対する不安を感じる人」が、すっぴんを支持するのだと思います。

 

でも、すっぴんブームが大きくなればきっと、「すっぴん戦略向けコスメ」が発達すると思います。今でも「すっぴんパウダー」とか「SUGAO」なんてブランドもありますから。もしくは整形とか。市場規模が大きければ、商品はそこを狙います。

 

なんか、世知辛いなぁ。

 

自分の顔は自分で見れない。

他者からは見えることの因果なのですかねぇ。

 

自分の顔って、他者評価のための道具なのですか?だから、化粧をしなくてはいけないのでしょうか?

 

めんどくさい。

その一言に尽きます。

悲劇のヒロインの何がいけないの?

仕事で失敗した、受験にうまくいかなかった、大好きな人に失恋した、親の事業がうまくいかずに借金を負った。

 

何にしても、できごとは、ただのできごとです。私は、できごとから何を読み取るかが大切だと思っています。点と点を結び、線を描く。いくつもの線が重なり絵ができるように。

 

 先日、「私の苦しみは特別感が出ていて嫌だ」と言われました。これ、ものすごくよくわかります。「湿っぽくて、ねちっこい」感じですよね。悲劇のヒロイン気取り、といったところでしょうか。

 

基本的にめちゃくちゃコンプレックスをこじらせている人って、「触れちゃいけない感」がありますよね。わかりやすく言うと、出っ歯を気にして四六時中手で口元をおおっている人、写真を撮る時にも絶対に口を閉じて笑う人はイジれない。笑えない。カラッとしていない。こういうことだと思います。

 

わかる。ものすごくよくわかるけど、なんか引っかかったんです。さて、何故ひっかかったのか?

 

だって、「自分の悲しみって特別じゃない?」ってこと。

 

わざわざこれ見よがしにやるなよ、とか言われるなら「その通りだな」と思います。そろそろ乗り越えて進めよ、と言われても「グズグズしていて、すみません」となります。

 

でも、自分の苦しみは特別だろって開き直っています。

 

だって、あくまでも他の人の苦しみは想像しかできないです。それが本当のものかどうかは誰にもわかりません。自分の苦しみは、リアルな経験です。それをきちんと味わうからこそ、他の人の痛みも想像がつくようになっていく。そういうものじゃないのですか?他人の痛みだけめちゃくちゃ理解している、自分の悲しみに向き合っていない人なんているんですか?

 

自分の苦しみは、世の中の数多くあるできごとの内の一つに過ぎない。でも、自分にとっては唯一無二のものです。きちんと、向き合わないといけません。

 

自分に起きたことをきちんと受け止める、その作業はすぐには終わりません。何度も、行きつ戻りつしながら「こんなことしても、苦しいだけじゃないか」と終わりが見えない中でももがいていくもの。「自分はこんなにダメージを受けているんだ」ということを何度も何度も、繰り返し実感していくものです。

 

 

悲しいかな、苦しむ姿ってキレイには使い分けられないのですね。一人の時に思い出して泣いて、怒って、改めてショックを受けていても、外で出てしまう部分があります。いくら隠しても周りの人間にも伝わってしまう。伝わったことは、周囲から不快なこととして受け止められます。

 

でも、私はどっぷり過去に向き合う時間はとるべきだと思います。周りに何と言われようと、必要なものは必要です。どっぷり浸れば、抜け出せる。中途半端に浸った気分だけ味わうから抜け出せないのです。

 

思いきり、泣け。あがけ。もがけ。苦しめ。トコトンやったら、どこかで気が済む。ただし中途半端はいけません。本気で、全力でカッコ悪くなるのです。ギャーギャー道端で騒ぐくらいです。

 

くぐり抜けてきた経験が、ただのできごとに意味を与えます。ストーリーがあって初めて、点と点が線になるのです。カッコ悪い過去、向き合いたくない過去を無視していると、あなたの人生はつながりません。最も嫌なところが、最も自分を特徴づけていることもあるのです。

 

ビバ・悲劇のヒロイン!?

ADHDと薬

 

ADHDと薬 

ADHDって診断されたけど、薬飲まないといけないの?

そう思う方が多いと思います。

私もとても悩みました。

「どんな人生をこれから歩みたいのか?」

それによって答えは変わってくるのではないかと思います。

 

ADHDには治療薬があります。

日本で処方されるのはコンサータストラテラの2種類です。

ADHDは脳機能の障害なので治ることはありません。

飲まなくてはいけないのだろうか?

飲み始めたらいつまで飲むのだろうか?

私は激しい葛藤がありました。

 

薬害への恐れ

薬というのは、今「絶対に安心!」と言われていても

数十年後になって「すみません。安全じゃありませんでした。」と副作用が発表されてもおかしくないものだと思っています。

脳や神経に効く薬は、適切な使い方をしないと恐ろしいものです。

 

私は、福祉施設に勤めていた関係で重い精神疾患の人に多く会いました。

強い薬を処方されている人というのは、ぼんやりとして表情が無くなっていきます。

「穏やか」と言うことも可能です。

それでも、それを心から良いとは思えませんでした。

 

どんな人生を歩みたいか

私は薬を飲んでいるか?

答えはイエスです。

 

 

理由は簡単です。

私はADHD症状により、他人の信用を失ってきたからです。

仕事で、マルチタスクが出来ません。

ミスも多く、疲れると居眠りもしてしまい、他人の信用を失います。

クローズ就労をしているので、言い訳も出来ません。

衝動的な発言や、感情の不安定さから親しい人間関係も次々に壊れていきました。

喧嘩が絶えずありました。

これはADHDだけではありません。

私の性格も、成育歴も、色々な要素が複合的に関係しています。

 

それでも、私はストラテラを飲み始めてから感情が安定しました。

 

薬を飲んでわかってきたこと

薬を飲んでよかったのは、今までの生活を一歩引いて見ることが出来ることです。

ADHDは一見してそこまで重い障害に見られません。

それでも、多くの失敗を重ねてきました。

色々な人の信用を失ってきたのだと思います。

 

私は、これから自分の症状について他人に話していこうと思います。

障害を打ち明けることでなく、苦手なものを他人に頼むようにします。

失敗を隠すのでなく、得意なことをどんどん伸ばしたいと思います。

 

少しでも、自分と周りを大切に出来るように。

 

 

 

 

医者に言われた忘れられない言葉

「あなたに他人の気持ちを理解しろというのは、

背の低い人に向かって高い棚の物を取れと言うようなもの。」

 

ADHDの栞です。

ADHDの人は、何度か医者にかかっている人が多いでしょう。

 

上記の言葉は割と最近に医者から言われたものです。

私は、アスペルガー傾向もあります。

アスペルガーは、他人の感情に無頓着だとか空気が読めないと言われます。

私も悪気なく言った事が「無神経」とか「毒舌」と言われます。

一瞬の表情から読み取る、なんてことは土台無理な話です。

 

一番大切な人に何度も

「どうせ気持ちが分からないんでしょう。」と言われます。

どうしたらいいだろうかと聞いた時に言われました。

 

「あなたに他人の気持ちを理解しろというのは、

背の低い人に向かって高い棚の物を取れと言うようなもの。」

 

 私は、対人援助職をずっと続けています。教育学を学び、販売の仕事に就き、今は福祉の仕事をしています。

ずっと、人の気持ちがわかる人になりたかった。

自分の苦手分野だと理解していても、どうしても諦められない分野だった。

 

 他人の事が理解出来ずに、どんな人生があるというのだろう。

 

私は多くを望んではいないと思います。

たった一人、でした。

その人が私にしてくれたように、私もしたい。

初めて安心できた。

心が自由だと感じた。

その人が、そばにいてくれることを感じた。

 

私も返したいと思うのは、無理な話なのかもしれません。

心の中に誰もいない、

そんな人生に何の意味があるというのですか。

 

 

 

当事者かつ支援者の自己紹介

 初めまして。

28歳にして、半年前にADHDが発覚した栞です。

 

 私はADHDの当事者でもあり、障害者支援の仕事に従事していた経験があります。

このブログは、「苦しい!」と当事者の立場だけで言えない・・・福祉の実情知っているし自分も加担していた一人だからなぁ・・・という私のジレンマブログです。

 

ただ、私にとって良かったのは以下の2つのこと

 

①福祉の制度の枠組みを知ることが出来た

いざとなったら利用できる制度をいくつか知っていると安心します。

日本は、申請して初めて制度が使えたりお金がもらえたりする申請主義の国ですから自分が知識をつけるしかありません。

 

②何人かの生き方を事例として知ることが出来た

色々な人生を先に見ちゃった、という感じです。

普通に生活をしていると、その人の家族構成から障害名、どんな一日を送ってどんな一週間を送っているのか知る機会なんてないと思います。

利用者として来るとそういった情報が職員の手に渡るのです。

ひどい言い方になりますが、上手くいかない人と上手くいく人の違いみたいなのをまざまざと見ました。いくつか大事なポイントがあるのです。

自分との共通項を持った人もいましたから、同じ失敗をしない様にと思うことは多いです。こんなに他人の人生を詳しく知る職業もなかなか無い様に思います。

 

 私は、健常者としてまっとうな道は歩めそうにない。

でも、障害者として生きていかなければならない程でもない。

 

そんなボーダーを歩んでいます。

 

出来れば、障害と関係無い所で今後は生きていきたいのですが、どうにもこうにも障害にこだわってしまう自分もいます。

ADHDだって、色々な人がいますから。

自分の特性の一部として受け入れることが出来て、一人の人として歩んでいく時にこのブログも卒業したいなと思っています。

 

ただ、自分の経験は活かしたいですから、役立つ情報は共有していきたいです。

宜しくお願いします。