これからの道しるべ 障害福祉の現場で働く森本しおりのブログ

障害児相手の仕事をする傍ら、ライターをやっています。ADHD当事者でもあります。ジャンル:発達障害、メンタルヘルスなどなど

毒親、アダルトチルドレン、虐待、愛着障害についての本4選

毒親、家族依存症、アダルトチルドレン、虐待、サバイバーは、どれも全然ルートが違うものの同じ意味合いを含んでいます。

 

どれも、「子どもに現れる病理」を「家族関係から見ていく」という共通点があります。本人に原因を求めるのでなく、関係性により病んだという見方です。

厳密に見ていくとそれぞれ定義が違うと思いますが、つながる部分もあります。

 

ちなみにこの辺りの本は私60冊以上?は読んでいます。どの人のどの本が良いのか?をお伝えしたいと思います。なるべく、個人的な好みではなく、手に入りやすく、世間的な評価も高い本で、実際に読んでよかったものをご紹介します。

 

まずは、現代の日本の精神科系編です。

 

「依存症」信田さよ子

 

文春新書『依存症』信田さよ子 | 新書 - 文藝春秋BOOKS

 

 

信田さよ子さんは、今、もっとも有名なカウンセラーと言っても過言ではないのではないでしょうか。

アルコール依存の精神病院で勤めていた経験あります。アダルトチルドレン、DV、アルコール依存などの書籍を多く書かれています。母と娘の関係についての本も多いです。何冊読んでも面白いですが、まずはこの一冊をお勧めします。とっつきやすいですが、奥深いです。

 

愛着障害」 岡田尊司

愛着障害 岡田尊司 | 光文社新書 | 光文社

 

発達障害、メンタル、親との確執系を抱えているなら、一度は読んだことがあるはず。岡田さんの「愛着障害」です。

この方は、医療少年院で勤務されていた経験から、犯罪を犯す人の中には悲惨な家庭で育った人が多いことを知ったそうです。人が育っていく上では、愛着の安定が必要だということです。

「好きだけど、ものすごく憎い、不安定になる」とか「そもそも好きという感情がない」なんて人たちを紐解いていきます。

 

「シゾイド人間 内なる母子関係をさぐる」小此木啓吾

『シゾイド人間』(小此木 啓吾,長 新太):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 

ちょっと古い本なので、古本屋やネットでないと売っていないかもしれません。でも、小此木さんの本は本当におススメです!一番有名なのは「対象損失」ですが、アダルトチルドレン系の人には、こっちの方が最初は読みやすいかと。

 

いわずと知れた日本の精神分析医の小此木さんは「傷つくことを恐れて、誰とも深い関わりを持てない人の心理」のスペシャリストです。「モラトリアム」という言葉を広めたのもこの方です。

なぜ、関わりを持てないのか?今、社会はそのためにどう変化しているのか?専門的な内容を心理学なんて読んだことがない人にでもわかりやすく書いてくれています。

 

「ひきこもりはなぜ「治る」のか?精神分析的アプローチ」斎藤環

www.chikumashobo.co.jp

著者は、「引きこもり」の権威と言っても差支えないでしょう。ひきこもりに関する本を多く書かれています。

ひきこもりは、もちろん親子関係と関係があります。「どう接したらいいの?」といった実際のアプローチもたくさん書かれていますが、この本は「引きこもりが起こるメカニズム」について書かれています。途中、「む、むずかしい・・」となる部分もあるかもしれませんが、すべてを理解できなくてもいいのではないでしょうか。

私は、これを読んで「治る」過程が想像つくようになりました。それだけでも十分収穫です。

 

以上、アダルトチルドレンに関する本、日本の精神科系4選でした。

ザックリ言うと

 

依存症(アルコール、ギャンブル、セックス、酒、買い物)に悩む人→信田さよ子さん

親しい人との関係性が築いても破壊的になる、もしくは一切築けない、精神面で不安定な人→岡田尊司さん

誰とも深い関わりを持てない、何かを選ぶことができない人→小此木啓吾さん

引きこもりに悩む→斎藤環さん

 

以上のように、悩み別で考えてもいいかもしれません。

ちなみに、日本の心理学系の本は大体、外国で生まれた理論をもとに書かれています。ここに挙げた本は、心理学で言うと「精神分析」と呼ばれることが多いジャンルです。精神の病理を家族関係から読み解いていくのは、精神分析なのです。もとを辿れば、フロイトです。

 

そのため、日本の本は入門編にはとてもよいと思うのですが、本格的に知りたい方は原典を辿ることになります。そうすると、外国編にもつながっていきます。

 

さらに「専門書は読みづらい」という方は虐待を扱ったルポルタージュや、ノンフィクション、当事者の告白系の本もあります。同じテーマでも、どの立場から描かれているかで内容は変わるものです。

 

いずれ、他のジャンルもご紹介したいと思います。

 

ADHDで何が困る?

ADHDで困ること」って聞かれると少し困ります。

いや、山ほどあるんですけどね。

私のADHDの困りごとは、3種類に分かれます。

 

①「どうにもならない。お手上げ」ってもの。

「諦めろ」もしくは「別の方法考えよ」ってなります。

 

②「調子次第のもの」

忙しかったり、調子が悪かったりするとできないもの。(記憶力はがぜん落ちるし、衝動性は高くなるし、そそっかしいミスが増える)これは、もう調子を整えるしかない。

 

③「工夫すればなんとかなるんじゃない?」ってもの。

一番諦めつかないのがここ。なんとか対策があったりします。

 

そうすると「結局何で困るの?」って聞かれると、「キャパが狭いこと」って答えています。当事者の人はどう思ってらっしゃるんでしょうか?

 

私が「お手上げ」リストに入れているのは以下のことです。

 

・車の運転

(仕事で運転必要なんですけど、事故の確率が高いと思うのでやめてます)

・方向音痴

(アプリさまさまです)

 

調子次第のもの

・忙しい時に「覚えておく」こと

(不可能なので、メモを目につくところに置いておいたりします。思い出す仕組みを作る)

・ミス

(いつもやっていることなのに、急に不自然なミスをしたりします。これ、黄色信号。)

・こだわり、切り替えができない

(調子が悪い時ほど、ダラダラスマホを見続けたりして寝不足になります。負のスパイラル)

 

工夫次第でなんとかなるもの

・忘れ物

(同じカバンを使い続ける。出かける前の確認。どうしても必要なものはストックを持っておく。)

・ミス

(調子次第のものでもあるけれど、とにかく確認することを習慣化する)

 

「で、結局何が困るの?」って聞かれると、総括して「キャパが狭いこと」なんです。器をいっぱいいっぱいにしなければそこそこスムーズにいくものが、器をいっぱいにしちゃうと途端にうまくいかなくなる。

仕事の性能も落ちるし、なんならすぐ体調崩します。

 

人生、忙しい時やふんばらなきゃいけない時もあります。そういう時にふんばりがきかないのが、ホント、やりづらいです・・。こればかりは仕方ないですけど・・。

 

 

 

不幸に慣れる

障害福祉の現場で働いて、早4年半。

様々なお金の苦労や、ドロドロとした家族関係、暴力の歴史に、精神的不調を見すぎて若干、慣れてきました。幸せかどうかは本人が決めることなので、私が言うとおこがましいですが、不幸の免疫、耐性がついてきました。

 

私は、現在放課後等デイサービスという障害児の通う学童のようなところで働いています。

ちょっとしたサイン、例えば子どもの服装が汚れているとか、勉強ができなくてもずっと自分から「教えて」って言えないとか、からなんとなく家庭や学校でどんな風に困っているのか想像がつくようになってきました。

あまり、驚かなくなってきました。

 

「驚かない」ということには、良い面と悪い面があります。

良い面は、リアルに捉えられることです。

例えば、家に帰るのが楽しみじゃない子どももいるんですね。「帰りたくない」とか言い出す子がいます。

働き始めたばかりの人って「そんなことないでしょ」とか「お家でお母さんが待っているから、早く行こう!」とか言います。実際、だだこねているだけの子どももいるんですけど、中には本当に「帰るのが嫌なんだな」という子もいます。

それをそのまま受け入れるようになりました。

 

「驚かない」ことの悪い面は、感動しないことです。

心が動かなくなってきました。やっぱり、悲惨な話もたくさん聞くと慣れるんです。

変に感情移入して「自分が助けてあげなきゃ!」って思うのも危険なんですけど、冷静に成り行きを想像しちゃう自分も微妙だな、と思います。

子どもがすごく嬉しそうにしていたりとか、「先生!」ってしたってくれるのを見てもどこか警戒心がとけません。

お互い、探り合いです。

 

昨日、成人の方の悩みを聞く機会があったのですが、「大したことないじゃないか」って思ってしまう自分にびっくりしました。もっと言えばドン引きしました。

「人の悩みを評価する立場になったのか、何様だ」って自分に嫌悪感を抱きました。

よくよく考えると、ちょっとした職業病かもしれません。

色々な話を聞いた時に、緊急度と重要度をはかるのは大事なことです。昨日の話は、本人にとっての重要度は高いかもしれないけれど、緊急度は高くないものがほとんどでした。

 

悩みを抱えている本人にとって、どのくらい重要な問題かということは、周りにも伝わります。でも、深刻に悩んでいることが、周りからすると「そこまで深刻になること?」と思えることもあります。

 

悲惨なことは、今もたくさん起きています。

不幸のバリエーションを知らないと、自分だけ苦しいと思ってしまいます。

それはある意味で、甘くて平和なところにいられるからです。それは、幸せなことなのかもしれないと思います。

 

面白いブロガーがことごとく不登校や引きこもり経験があることについて

「この人面白いなぁ!」とワクワクして記事を読み進めていくと「実は、昔引きこもりで・・・」とか「不登校になったことがある・・」という記事を見つけることが、ここ3回続いています。

 

ちなみにその3人は以下の方々です。

 

菊地良さん(もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら、で有名)

菊池良|note

 

上田啓太さん

真顔日記

 

シロクマさん

私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠

 

ちなみに、お三方とも有名です。かつ私は、掲載の許可を得ているわけでもないです。私は一読者としての感想です。

 

不登校で検索しているわけではないんです。メンタル系の記事を書かれているのは、精神科医でもあるシロクマさんのみです。なんとなくネットサーフィンして「何この人面白い!!」とハマると、それぞれ不登校や引きこもりの経験がある方なのでちょっと、思うところがありました。

 

独特の目線を持つ人って、「出る杭は打たれる」じゃないですけど、どうやったって社会適応できない場面が訪れることがあるんじゃないでしょうか?そして、それを突破するには充電期間を経て社会に合わせつつも個性を磨いていく、それこそ「出過ぎた杭」くらいになる必要があるのではないでしょうか?

 

出過ぎた杭、というのはネガティブなイメージがありますけど。杭の見せ方を他の人にも受け入れられやすいように工夫しコントロールしつつ、自分だけのフィールドを築いていくということです。

 

何が言いたいの?ってなってきましたけど

「個性って消せないんじゃない?」ってことです。

 

私は昔「自分のはみ出てしまう部分を消しゴムで消したい」と強く願っていました。

なんか、クラスで浮く。なんか、変。なんか、ぎこちない。

どんなに努力しても「なめらかに溶け込む」ことなんてできなかったんです。

きれいな球体を目指しても、いびつな形でしかいられない自分を呪っていました。

 

比べるのも恐縮ですが、この御三方は、私よりも個性が強そうです。その分、適応にも苦労した部分が大きいのではないでしょうか。勝手に言って申し訳ないですけど・・。

その中で生きぬいて来られた。他人にあまりわかってもらえないような「面白い」とか「これいいな!」みたいな感覚を殺さないで、むしろ育てて来られたから、こういう突き抜けた文章が書けるのだと思います。

 

私は、あまり違和感なく周りの信じていることを同じように信じられる人をあまり好みません。そういう人は、常識から外れないかわりに、自分の頭で考えることもしません。まったく無意識のうちに、人を傷つけるようなことを言って、本人は気づくこともないからです。

 

ただ、強い違和感を感じて真理を追及していく人も苦しいだろうなぁと思います。他の人だったら気づかない位の、嘘とか、小さなエゴ、利己心みたいなものも見ぬいてしまうのでしょう。気付いてしまうこと、見抜いてしまうことは、本人にとって苦しいこともあると思います。

 

「因果」という言葉が浮かびます。

 

 

 

 

 

 

 

冷静に考えてみよう。「歌詞を書く」ってすごくないですか?

最近、「歌詞を書く人」ってすごくない?と改めて驚いています。

 

いやいや、だって冷静に考えてみてくださいよ。

私は歌詞を書いたことがありません。

記憶をたぐりよせると、すこしだけ似ているのは「学校で書かされた五・七・五の俳句」です。

 

めっちゃ、むずかしかった。

 

まず、文字数の縛りがありますよね。

これがもうキツイ。

言いたいことが入らない。

 

さらに、季語も使わなければならない。でもって、読む人に届けるわけじゃないですか。

 

何をもって「よい詞」とするかは意見が分かれると思います。

ただ、「相手に伝わって、かつ感動させなきゃ意味がない」ということがあると思います。

 

昔の短歌はお手紙として使っていたから、相手のことも思い浮かぶかな、と思います。でも、歌詞って大概、時空を越えて会ったこともない人に届けるじゃないですか。誰しも、一回は歌を聞いて「これって私のことかああああ!!」「なんで知っているんだああああ」って激しく感動して泣いたことがあると思うんです。

 

文字数制限の中、ここまで他人の心をゆさぶるってすごくないですか?

 

人が文章を読むには、二つ種類があると思うんです。

一つは、情報収集のため。役立つ知識とかですよね。ニュースとか、専門知識とか。

もう一つは、感動するため。小説とか、文学とかは同時にお役立ち知識とかも入っていたりします。

でも、歌詞を情報収集のために読む人っていないと思うんですよ。ほぼ皆無でしょう。こんなに情報収集が切り離されていても、愛され続ける文章ってあります?私ないんじゃないかと思うんですが。

 

じゃあ、もう一つ考えてみましょう。

現代の人は「俳句」や「詩」を多く読みますか?

 

いやー、ほとんどの人が読まないでしょう。余韻とかを味わったり、一行だけ読んで想像してみる、なんていうのは贅沢な楽しみだと思いますが、私がパッと思いついた詩人は相田みつを金子みすゞ谷川俊太郎中原中也くらいです。

 

すみません、正直に告白すると、相田みつを以外は「え、名前合っている?」って不安になって検索しました。

 

こんなもんですよ。みんな、現代の人とは言いづらいですし、今本屋さんに行ってベストセラーの詩ってあまりなくないですか?ちょっと前に当たり前ポエムって流行ったけど・・

 

なぜ、人は詩を読まないか?

「役立たないから」じゃないか?と思っちゃうんです。情報収集の要素がないからじゃないでしょうか。その上、含みを持たせて想像するというひと手間がめんどくさくなっているんじゃないでしょうか?

 

今、ネットの文章とかは簡潔ですものね。パッと読めて役に立つ。そんなものがもてはやされる時代なのかなー・・なんて思います。

 

歌詞の話に戻りましょう。

なんで、詩は読まれないのに、歌詞はここまでみんな覚えるのか?

もちろん、メロディーの力って大きいと思います。

メロディーがいいなと思って聞いていたら、ドキリとするような表現が出てきたから歌詞検索してみたらめっちゃいい!ってなったりします。

 

それにしても、歌詞はどこまでも感情やイメージの世界です。

さらには、音とかメロディーといった言葉とは違う表現と、言葉とを一致させる能力が必要とされる。

音楽的センスを読み解き、言語で表現する。

そんな、むずかしいことある?って思っちゃいます。

 

 

歌詞を書く人ってすごいなぁ。

あらためて、感嘆。

 

心の傷は放っておいても治らない

子どもの頃、転んで怪我をしてもグッと痛みをこらえて「平気」と強がると、周りの大人は「強いね」「えらいね」「大人だね」とほめてくれました。

 

大人になった今でも「すぐに立ち直ること」が求められているように感じます。

 

仕事での失敗、失恋、引っ越しに伴う親しい場所や人との別れ、ペットとの死別などなど・・・。

傷ついたばかりの頃は周りもよく話を聞いてくれますが、3ヶ月も同じ話をすると「まだ言っているの?」となってしまいます。

 

私たちは「前に進まなきゃいけない」というプレッシャーにさらされているのです。

 

でも、果たして「すぐに立ち直ること」がいいことなのでしょうか?

心が傷ついた時、ぐっとこらえて笑顔を作る。周りには迷惑をかけない。これは必要なことだと思います。

私が心配なのは、他人に見せる部分だけでなく自分の心にも嘘をついてしまう人が多いのではないのか?ということです。

 

自分の傷を否定することは、「そこにあるもの」を「なかったこと」にしてしまうことです。自分の弱い部分や嫌な部分にふたをして、目をそらしてしまう。現実をそのまま受け止めない。

 

自分の感覚を否定したり、心に嘘をついたりすることを繰り返すと、自分が何を感じているのかわからなくなってしまいます。自分そのものが曖昧に感じられてしまったり、思いもよらない形で病気として現れることになったりします。

 

きちんと悲しみを味わう期間は必要です。

いくら否定したって、傷はそこにあるのです。

 

絶望したり、すでに終わったことを怒ったり、悲しんだりすることは一見意味がないように感じられるかもしれません。

 

痛みをごまかしている時よりも調子が悪くなったと感じるかもしれません。でも、それは自然な状態なのだと思います。

悲しみを受け止めるには、時間がかかります。

 

一人の時間にじっくりと思い出す。

気が済むまでノートに綴る。

自分の境遇に似た本を読んだり、映画を視たりする。

そして、心から信頼できる人にだけ少し打ち明ける。

自分の心に嘘をつかずに、痛みを受け止めていく方法はいくつかあります。

 

心の底から信頼できる人以外には、打ち明けない方がいいと思います。

心無い仕打ちを受ければ自分も傷つきますし、相手もじめっとした話を聞かされるのは不愉快でしょう。

そんな人たちとは、落ち込んでいる期間は距離を置けばいいのです。

 

あなたは、きちんと心の傷を受け止めていますか?

なかったことに、していませんか?

 

1年で100冊本を読む

1年で100冊本を読むと決めて、今年で3年目になります。

 

どうやら、月に7冊以上読む人は読書量だけで言えば上位4%だそう。

50%近くの人が、月に1冊も読まないらしいですから。

 

私は、大学で高校の国語の教員免許をとりました。

周りにさぞかし読書好きが多い・・かと思いきや、まったくいませんでした。

 

高校の教員免許とっている人でも「活字はちょっと・・」と言う人、多かったです。日本文学科の授業も受けましたが、周りで本を読んでいる人なんかほとんどいませんでした。

 

読書って、すごいながーーい目で見て行かないとためにならないものです。

すぐに効果なんてまず出ない。

 

50インプットしたら1アウトプットできる、という数字を聞いたことがあります。

でも、本当は比率として「もっと少ないんじゃないかな?」と思います。

50冊読んでも1冊書けないですし。

 

でも、筋トレのように続けていくと確実に世界の見え方が変わると思います。

ものの見方、自分の考え方を新しくしていく。

 

それには読書が一番だと信じています。